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うだぐだ。日記にもならない。
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はぁぁあげられはしなかったけど書き終えたのでこっちにアップ!
クリスマス竹くくR18です! ごめん若干生々しい表現が…
えろってわかりません。ホモでは初エロですたのでいろいろ…わけわからない部分が…!

現パロ
暴君七松
クリスマスにテンション高い5のい
苦労人竹谷
料理人竹谷
それではメリークリスマス!
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続きから久しぶりにオリジナル。
クロスファイアが面白すぎましたがパイロキネシスの能力をもらっただけでまったくもって二次創作とかじゃないです。おしりに子のつく名前が好きです。
ちょっぴりポップというか、現代っぽい語調に挑戦。イメージは人懐こいおばちゃん。楽しいです。
宮部みゆきとか伊坂幸太郎とか、ちょっと癖のあるけど親しみやすい文章が好き!森博嗣の一人称も素敵です。やっぱり癖のあるってとっても大事なことだと思います。


ナンブレってはやってるんですかね?今日電車で座ったら二回も隣の人がやっていました。
眠いな眠いなー
いっぱいサイトめぐりできる時間が欲しいです。むさぼりつくように落乱を堪能したい。でも時間がなーい。
パソコンのお気に入りにはいっぱいすきなサイトが入ってるのだけれどブクマに登録する時間もない…てかあんまり多いとあれだなぁ…どうするかどうするか。眠いので頭回らない。
今日課題の文章書く予定だったのにいつの間にかオリジナル書いてました。母って好き。おなごがすきじゃ。
あれなんであたし落乱好きなんだろう…男臭しかしないのに!


23日イベント行ってみたい!いやまじで!でも授業だ!さぼるか!
でも帰ってきたらあたしの荷物見てお母さんなんていうだろう…家族はあたしのことただのマンガ好きのモノ好きだとしか思ってないので、てか落乱自体は家族みんなで読んでるから安心して買ってます。よこしまなのはあたしだけ。
イベント…たぶん今回は無理ですけどいつか絶対参加してみたいです!誰か手取り足取り連れてってくれる人がいてくれたらいいのに…隠れヲタはどっちのほうこうになにをするにも常にひやひやです。

カミングアウト…いつかできる日が来るんでしょうか…ととある人に呟いてみます。
でも自分のためにあたしはしないほうがいい気がする。したら最後、調子乗ってその人にたいしてヲタクな話しかしなくなるきがするから。突っ走りがちな人間です。


日記がおもしろいと言われたので調子のって書いてみました!いやでもどこがおもしろいんだ!今日なんて特になにも内容がないよう…
つまらないギャグを飛ばしてしまうほど眠い…三点リーダの多さがうざい…
こんなやつは寝てしまいましょう。おやすみなさい!
 お前、と老婆はしわくちゃの顔にさらにしわを増やした。もう、どこが目で口で鼻なのか、さっぱりわからない。
「誰を相手に喧嘩売ってるのかわかってるのかい?」
「うん」
 肯定なのか否定なのか、それすらも曖昧にわらしはうなずいた。ああこいつは救いようのない馬鹿に違いない。きらきらと目を輝かせて、その野望には似つかわしくないからりとした笑顔をしているのがすごくまぶしい。
「天魔王だ。七つの山を手中に収める、負けも老いも知らない化けモノだよ」
「化けモノじゃないよ」わらしはまったく疑いのない強い口調で言った。「山上小宗太という、俺と同じもとは小さなこどもだったって、聞いた」
 誰だか知らないが、そんなことをこいつに吹き込んだやつもずいぶんとひどいものだ。からかっていたのか同情からか、そんな酔狂なことを言ってしまうなんて。
「それにお前、武器すら持っていないじゃないか」
 わらしが持つのは小さな荷物。三日分の食料と路銀とその他もろもろ。武器はおろか、刃物すら持っていないのではないか。
 しかし彼はにたり、と笑った。
「武器ならあるよ」
「どこに」
「ここに」
 両のこぶしを作って、わらしはそれを老婆に向けた。力強く突き出されたそれは、骨ばっているのでもふくよかなのでもなく、一瞬息を忘れるほどに鋭い刃物のような気配を持っている。
「俺は肉を絶たない。父さんと母さんが作ってくれたこの身体を変えたくないから、俺は刃物を使わないし血を流さないよ」
「馬鹿じゃないのかい」
「だって、切るのは痛いじゃないか」
 打つのだって痛いさ。なんという、馬鹿で阿呆な子なんだ。
 けれどもそんなわらしに、ふと、熱い気持ちを抱いてしまう。まっすぐな生きざまは、昨今に珍しく、まぶしかった。


とりあえずこんばんわ。今週末も更新できませんでした…
来週は頑張るぞ!
では眠いのでおやすみなさい。
人の死なんてさ、よほど身近な人でないと、実感なんてわかないんだよね。
棺桶にいる肉塊はまるで知らない人のよう、穏やかな顔は死なんてまだまだ遠いんだってことばかり思わせて、結局あまり悲しみなんて思わない。ただ、それからいくらか経って、その誰かのいなくなった生活に慣れていって、それで初めて「もうあの人はいないんだ」と実感するんじゃないかな。
そう、だから人の死について感じるのは悲しみではなく、寂しさ。
もう会えない人を思い、失ったものを思い、残された自分に寂しさを感じる。


葬式に出るまでの僕はいたって不謹慎。げらげら笑って人が死んだなんてどこに吹く風、まったくもって別世界の話だ。
けれども、葬式の場で、その死んだ誰かが、死にました、死にました、もう会えません、どうか安らかに、なんて話を聞いたら、否が応でも実感するでしょう? もういないんだ、もう会えないんだ、僕は取り残されてしまったんだ、って。その時初めて涙を流す。ぼろぼろと、悲しいと感じるより先に涙が出る。
昔、人の死に涙を流すのは取り残された自分がかわいそうだからだ、というのを聞いたことがある。失ったことが悲しくて、かわいそう。ずいぶんと批判的なフレーズだったけど、僕はそれでいいと思う。その死に悲しむことができるくらい誰かを大切に思えて、大切に思えるほどその誰かからたくさんのものをもらったんだろう。それはとても幸せなことだ。
人はいつか死ぬ。確かに死は悲しいことかもしれないけれど、それに絶望する必要なんて、どこにもないと思う。
なぜなら人はいつか死ぬように、今もこの瞬間、どこか身近なところで誰かが生まれてきている。産声が聞こえるはずだ。
それだけで、とても幸せなことなんじゃないかな。


なんかこういう二つの微妙に違う考え方みたいなのが好き。
どちらが悪いとかいいとか判別できないけれど、なんとなく違う。どっちも優しかったり残酷だったり。
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